アルゼンチン共和国がスペイン本国より独立した19世紀初頭、そのアイデンティティとしての標語は「En union y libertad」、つまり、統一と自由において、というものに決められた。これはつまり、国家のイデオロギーでもあり、主張でもあった。また、国民ひとりひとりにその身体の中に脈々とながれる血潮そのものでもある。ファンペロン政権下の20世紀後半、またフォークランド紛争において、アルゼンチンは再び、「libertad」(自由)、について骨の髄まで思案せざるを得ない状況に直面する。
La Bombonera
水色と白の血潮〜ピアソラのリベルタンゴに想う〜
天才サッカー少年こっちゃんの歴史①
2016年2月24日、兵庫県明石市に天才サッカー少年(この頃は赤ちゃん)こっちゃんが誕生しました!
ベルリンでの激闘のあとに〜シャビ・エルナンデスに捧ぐ〜
私が彼を見たのは16年前にさかのぼる。98年フランスワールドカップ、国民の期待を一身に背負った日本代表は3戦全敗という世界からの答えを叩きつけられていた。そんな現実に夢を見せてくれたのが、翌99年に開催されたワールドユース(現U-20ワールドカップ)の日本代表であった。小野伸二、稲本潤一、高原直泰、そして遠藤保仁らの紡ぎ出すフットボールは、日本の未来そのものだった。ラゴスでの決勝戦、日本の前に立ちはだかったのが当時20歳に満たないシャビ・エルナンデスであった。グアルディオラの系譜を継ぐ「jugador」として本国スペインでもまた、彼は未来であった。「4-0」。スペインの紡ぎ出すフットボールは、日本のそれをはるかに凌駕した。FCバルセロナのNO.4、ジョゼップ・グアルディオラはいずれ彼が自身の地位にまで来ることを確信していただろう。そして、当の本人がシャビに対して「君もいつかあの坊やに抜かれるのさ」とイニエスタやファブレガスやを指して言い放ったエピソードはあまりにも有名である。イニエスタどころではない。FCバルセロナでは次世代へ受け継がれる萌芽が次々と湧いて出ているのだ。シャビがグアルディオラに憧憬を見たのと同時にそのシャビやプジョルに対し自身の近い将来を重ね合わせる少年たちが数多くいたのだ。せスク・ファブレガスやジェラール・ピケ、あるいはアルゼンチンはロサリオからやってきたひときわ...